鎌倉・鶴岡八幡宮 vol.1
六月三十日。
もう一年の半分が過ぎた前半最後の日。
それくらいの意識しかありませんでした。
六月三十日も「大祓」だったのですね。
大祓という言葉自体はこれまでも目や耳にして知ってはいましたが・・
大晦日の行事で、字のとおり一年間のお祓いをするものだろうと思っていましたが、詳しい内容までは知りません。
ところが最近になり、十二月三十一日(大晦日)と六月三十日の二度あることを知りました。
そこで行事の意味を調べて見ることにしました。
【大祓(おおはらえ)】
6月と12月の晦日(新暦では6月30日と12月31日)に行われる除災行事である。犯した罪や穢れを除き去るための祓えの行事で、6月の大祓を夏越の祓(なごしのはらえ)、12月の大祓を年越の祓(としこしのはらえ)という。
6月の大祓は夏越神事、六月祓とも呼んでいる。
なお、「夏越」は「名越」とも標記する。 -ウィキペディアより引用-
・・となっています、六月の大祓は夏越(名越)神事と呼ばれるそうですが、鎌倉には名越という地名もあります。これはたまたま重なっただけのことでしょうか。
さて、大祓という行事を見つけことはとてもありがたい限りです。
さまざまなタスクをこなし、一年も経つと穢れが随分と蓄積されてしまうので、いつの間にか年の初めの目標や計画や願い事を忘れてしまうような人は中途で一度、再起動をかけて正常化(清浄化)しておくことは先々の安心につながります。
それでは、ということで鶴岡八幡宮に詣でることにしました。
この時期の鎌倉は、休日、平日、晴れ、雨を問わず、紫陽花鑑賞に訪れる方達で賑わいます。この日も北鎌倉から鎌倉への道は観光客で溢れています。
三の鳥居が見えてきます。
鳥居に掛かる七夕飾りの様な、吹き流しの様なものは何だろう。
頭の中に”?マーク”が点滅したまま、眼前の立て札に大祓の文字を確認。
すると祭礼時間が標示されていて、ちょうど終わったばかりのようです。
参道を先へ進むと、ここで想像していたものが目に入ってきました。
その前に、神域に入る時にはキチンと、お清めをしなくてはいけません。
これもようやく最近になりく習慣づいてきました。
そして目的のものに少しずつ近づくと、これは・・・
「茅の輪」と呼ばれるもので、子供の頃に故郷の夏祭りで設けられていたものとほんど同じものです。
その祭りは七月の晦日に催され、俗称「輪くぐりさん」と呼ばれミツバチのダンスのように上から見ると8の字を描くように輪の中をくぐるのです。
故郷の祭事はほとんどのものが旧暦というか一月遅れでとりおこなわれていますが、全く同じ祭りのようです。
故郷の神社は和歌宮神社といういう名称でしたが、現在の鶴岡八幡宮も若宮さんと呼ばれています。
断片的にせよ同じようなことが存在するのには、何かしらの関連があるに違いないと思うのです。
このようなことが糸口になって、歴史の因果関係がやたらと気になって仕方がなくなるのです。
さらに拍車が掛かったのは、昨秋、今春と「鎌倉塾」と称する歴史講座を受講することができたことです。
鎌倉は今、ユネスコ世界文化遺産への登録を目指しており、これも様々な活動の中の一つです。
「鎌倉塾」の講師陣は大学教授、文化財の専門委員、学芸員、市民研究家とバラエティに富んでいました。
史跡見学のガイド役をしてくださった市民歴史研究家のからは、とてつもなくスケールの大きな話を聞くことができました。
その気になりやすい僕にとっては、義経=チンギス・ハーン説以上にずっと信憑性の高い話に思え、なぜだか嬉しくなってしまうのです。
史実と独自の調査に想像力を働かせ個々の思い入れによって頭の中で脚本を書いていけば歴史は浪漫になる。
大先輩方はその楽しみ方をよく承知していらっしゃるようです。
また、中世史専攻の教授による講座では中世日本史の新しい解釈をご紹介いただき、ジグソーパズルのピースのように細切れだった歴史知識がカチカチと組み合わさっていくようでした。
しかし、いくつかの疑問が解けると、また新たな謎が湧き出てきて妄想が脳内を渦巻くのです。
さて、現在の日本で習慣化されたものの中には鎌倉時代に始まったものがいくつかあるそうです。
たとえば初詣。
源頼朝が一月一日の元旦には鶴岡八幡宮に必ず参詣するとしたものが一般にも慣例化されたということです。
我家のご先祖様もある時から武士の作法の真似をするようになっていたのです。
僕に限らず、日ごろ忙しく活動する多くもビジネス人も貴重な休日を正月、お盆やお彼岸のお参りに割くことをいとわないようです。
いったい日本人はこれらの行事をいつ頃から続けてきているのでしょうか。
平城、平安の時代にもある程度仏教が日本に根付いていたのかもしれませんが、僕には庶民にまで浸透していたようには想像し難く、また庶民の生活や存在すら思い描くことは困難です。
鎌倉時代以降にいわゆる鎌倉仏教を武士や一般庶民に向けて布教していく中でようやく庶民の中にも定着していったのではないか。
鎌倉時代まで下るとようやく、おぼろげにも庶民の存在も感じ取れそうな気がします。
紹介しました鎌倉塾の講座でさまざまな識者の興味深い話を聞いたということもありますが、鎌倉時代にこそ現代日本の原型や源流があるのではないのかと思えてきてなりません。
それでは何からどうしようかとしばらくの間、悶々と考えていましたが妙案は浮かびません。
そこで、この釜底にような鎌倉の外に出てみようと思います。
鎌倉の源流、頼朝の原点、決起の地、
伊豆国、韮山の蛭ヶ小島に行ってみることにします。
答えは見つからないかもしれませんがそれでもよいのです。
頭か心か?の中にあるモヤモヤとした霧のようなものが少し薄まってくれれば・・